お浦が池の伝説 | |||||||||||||||||||
徳川四代将軍家綱の延宝年間のことです。 弓削田村の農民達は干ばつに苦しんでいました。 村人達は枯れた田を眺めて話し合い、大きなため池を掘る事にしました。 長い長い工事が終わり、後は雨を待つばかりとなったのに いざ大雨が降っても溜め池に水が一滴も溜まりません。 龍神様のたたりだと考えた村人は娘を人柱に立てて 怒りを鎮める事に決めましたが自ら進んで立つ者は誰もいません。 結局、くじ引きで決める事になったのです。 次の日両親に付き添われた村中の娘が庄屋の家に集まりました。 不安におののく皆の前に現れた庄屋は意外な事を話しました。 幼い頃から我が子のように育ててきた養女のお浦が 恩返しのため人柱に立つと言うのです。 庄屋も大変悲しみましたがお浦の決心は変わりません。 その日の夕暮れ、白無垢に装ったお浦は池のほとりへ赴きました。 そして村人が合掌して念仏を唱える中 池の底深く掘られた穴に身を沈めて行ったのです。 翌朝、村人が池に来てみると不思議な事に 水は満々とたたえられ堤からあふれんばかり。 それ以来池の水はあちこちの田をうるおし豊作が続きました。 村人はお浦の霊を厚く弔いこの池を お浦が池 と名付けてお浦の冥福を祈ったと言われています。 | |||||||||||||||||||